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思うままにつれづれ書くblog

背伸びせずかっこつけず思うままにつれづれをぶっちゃけていくブログです。

光が増せば、影も濃くなる。

タイトルにした「光が増せば、影も濃くなる」というのは
フラワーエッセンスを学んでいたときに 講師の方がおっしゃった言葉で

「あー なるほどなあ・・」と なぜか すごく心に残り
今でも 印象深い言葉として 思いだします。

 

自分の中の光にフォーカスすると 影もくっきりと意識されるようになる。
また なにか社会的に光にアプローチしようとすると 影もくっきり出てくる。
光が強いと それだけ 影も濃い。 それは当然なこと、自然なこと、なのかなあって。わたしはそんな風に解釈?しました。

つい昨日、しいたけさんのブログを読んで。

占い師さんで意地悪な人とは何か|しいたけオフィシャルブログ「しいたけのブログ」Powered by Ameba

以下引用文

それでですね、相手をハッピーにさせる。言い換えると自分が作っていく作品に光を注ぎ続けると、吐き出している側の人の闇って増えてくるんです。

 

だからですね、これも某編集の人から聞いた話なのですが、小説を書く作家さんとかでも、なんかその小説の世界観がホラーとか、めちゃくちゃな作品の場合、筆者にお会いするとものすごく明るい人みたいなことがあるそうです。逆にハッピーエンド系の作品を書く人って「あれ、この人が本当に作者なの?」っていうぐらいに思ってしまうことがあったりもする。多分全員じゃないですよ。一例ですよ。


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上の文を 読んで、あー確か前に ホラーを書いている人でめちゃくちゃ明るい感じの人いたなあ~と思いだしました。

あと、誰かは忘れたけど 絵本作家さんで「絵本を書いてるってだけで、ほんわかしたいい人って思われることがすごいストレス」って書いてた人がいたことを思いだしました。

絵本作家さん=なんかやさしくて子ども好きでいい人そう
みたいなことって 世の中にたくさんあるなあって。

わたしも フラワーエッセンスプラクティショナーとして 活動し始めて
自分で自分のことを フラワーエッセンス扱う人ってこんな人 っていうイメージに
沿って 意識的にも無意識的にも あるべき姿 みたいなものにすごくとらわれてた。

なんか 不思議よね。 考えてみれば。
例えば セラピストって聞くと なんかやっぱり優しそうで 慈愛にあふれてて 大人な感じ?で ・・って 勝手にイメージが浮かぶ(笑)
だけど 誰かが そうしろとか そうあれって 言ってきたわけじゃない。
自分でいつの間にかできあがっている イメージに自分でとらわれる。

そして そのイメージから自分が逸れたと感じると 落ち込んだり ダメだ~って思ってしまったり。 そういうことが わたしにはありました。

つか、なんでダメなの?   って 今は 素朴に思ってて。

 

人にはいろんな面があって。
絵本作家さんだって ひどく意地悪なきもちになることもあるだろうし
ほんわか ふわん な部分だけじゃないだろうし。
そんなの 当たり前、なのにね。
だから 自分だってそう。
ヒドイ部分もあれば 意地悪 嫉妬 ドロドロした気持ち 狭量 が
優しさ 愛情 おおらかさ と同時に混在してるんじゃないかなーと
今のわたしは 思っていて。

なら それでいいんじゃん。 って思っています。
(意地悪さを垂れ流しにしろってことじゃないよ)

自分で「フラワーエッセンス扱う人ってこんな人」というイメージにとらわれていたときに ちょっと辛口かな?ってことを思い切って言ったり書いたりしたとき
「毒吐いちゃいますが・・」とか言ったり書いたりしていたら、

Facebookのコメントで 「毒? 当たり前のこと言ってるなあって思うだけで 毒って感じたことないよ」というような内容(だったと思う)を書いてくれた人がいて。

えーーー!!これって 毒じゃないの?って それが当時すごく衝撃で。

なんか そのコメントもらえて すごくよかったなあって 振り返って今思います。

わたしの場合は、 自分が思う自分の理想な感じから 外れたことを言ったり書いたりするのが 「なんか悪いことを思っている、書いてる」みたいな感覚がすごいあったんだなって。光の部分の自分だけでいようとすると なにか抑圧されて溜まっていくものがあって それがもやもやとして 出さざるを得ない みたいな感じになるのかなあ・・と。
一時期 それまでの反動なのか(笑) もやもやぐるぐる あれはどうなの これはどうなのと 噛みつかずにはおれない時期がありました。

決して 光の部分の自分だけでいようとしていたわけじゃないのですけど (自分的には) 結果的に? 影の部分を「悪いなあ・・こんなこと感じてしまう自分は醜いなあ汚いなあ」と思っていたということは やっぱり そういう部分を抑えよう、見せちゃいけないって 感じてた・・・ってことなのかな?(ってそう感じてしまうことが よくないとか 正しくないってことが言いたいわけではなく 事実として)

今は わざわざ全部ぶちまけたりしようっていうのはないけど、
都度都度 自分が感じたことを正直に 言ったりもするし 書くこともあるし・・そんな感じが気に入っています。
職場の人が「わるひらさん」って名前をつけてくれてね、それが可笑しくて、すごく気に入ってます(笑) 自分の中のわるひらさんを 自分で面白がって可愛がってあげる感じ。

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すっごく大好きな人でもさ、むかっとくることもあるし、
かわいい我が子でも 「あーもうヤダ」「めんどくせー」って感じることもある。
それが 普通。 だと私は思うな。


大切だからこそ 毒づきたくなることもある。

そういった矛盾めいたものを 必要以上に怖れなくてもいいと思う。
根底には こういっちゃあなんだか恥ずかしくて隠れたくなるけども
みんなの中の愛がひたひたと流れているんじゃないのかなあって。
(わー 言葉にすると スゲー安易な感じ(笑)
その上に なにが乗っかって流れていようと大丈夫なんじゃないかな。